生と死を考える
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いのち いのちそれから おっぱいに関心を持って ブレストケアⅡ
                       

 

「いのち」
北方農業 2003年1月号 「五風十雨」に掲載

 いつ死を迎えるかは、はっきりとはわかりません。死にそうになっても助かることもあれば、突然に死を迎えることもあります。往々にして若い人々が死を迎えたり、突然に死を迎えた時には可哀そうにねぇという声をよく聞きます。

 かつて看護婦として働いていた病棟には、全国から重度の心臓病である乳児が集まっていて、1歳の誕生日を迎えられない子も多かったです。ですけれど、1日1日親子でふれ合っている姿を見ていて、愛して愛されて、もしかしたら普通の何倍も密度の濃い日々を過ごし、死を迎えた子は幸せだったろうと思うのです。

 そしてその時から15年以上たった今でも、その子達の両親からいただく手紙を読むたびに、その子が心の中に生き続けていると感じるのです。

 去年、い~ちゃんが昔お世話になった実習先の娘さんである、さとみちゃんが23歳という若さで死を迎えました。

 死を迎える1ヶ月前(モルヒネを1年以上使用しておりコップ1杯の水分を取るのがやっとという状況)に夫と会った後にもらった手紙が手元にあります。『・・略・・私は14歳で発癌して20歳まで旭川医大の小児病棟に通院・入院していました。私よりも幼い子達が今日一緒に遊んだと思ったら、翌日には冷たくなっていた事がありました。「命」「生きる」という事をずっと心に置いて今日まで来ました。私はもう残された時間こそ少ないかもしれませんが、1日1日を与えられた体で頑張る事、それが自然で一番と思います・・略・・』と。

 その後死を迎える2週間前にも家族で会いに行きましたが、とても思いやり深くおだやかな笑顔で迎えてくれました。

 死を迎える1週間前に外泊した時には、「がんばって、がんばって、がんばってかえってきたの。いろいろありがとうね。やっぱりおうちがいいね。ありがとう、ありがとうね。たぶんもうかえれないな。からだがつらすぎてできない。さとみ」と書き残して帰ったということです。

 先の少ないことを悟りつつも、あたたかい家族に支えられて最後の時まで大切に生き抜いたさとみちゃんから、私達は“生き方”を教えてもらったように思います。

 今年ベストセラーになった「生き方上手」を書いた日野原重明さんは、「人は生まれたときから死への歩みを始めている」「よく生きることがよく死ぬこと」と述べ、1日1日を大切に一生懸命生きることを勧めています。

 そして幼くして死を迎えた子ども達やさとみちゃんは身をもってそのことを教えてくれた上、今日も天の上から私にささやきかけてくれているようです。だから思います。今日突然に死を迎えたとしても後悔しない思いで生きよう。今日できることに一生懸命取り組み、今日1日を与えられた条件の中で一生懸命生きようと。

 そういう風に学ばせてくれた貴重な命に感謝しつつ、小さな事を喜び合いながら生きてゆきたいと思います。そして、子どもたちに生きる喜びを感じさせてあげたい。
 


「今を生きる」

高橋さとみさん(北海道芽室町)が22歳のときに書いた文の紹介
(ハートフルピース賞受賞)

死を迎える1ヶ月前に 日々を平常に過ごしていると、何げないことに心の奥が荒んでしまったり小さな感謝さえもできなくなってしまうもので、私も以前まで、そう、平穏な生活を送っていた時までは、そうなってしまっていた事が多かった。

 人の心はつかみどころがなく冷たく、世間や社会の流れは容赦ない。しかし、最近改めて人のあたたかさを感じずにはいられないことがあった。そんな私は今現在、22歳という若さでありながら末期癌と共に、生きている。

 14歳で発病した癌が3度目の再発をした、とわかった今年の春、有効的な治療法が皆無だということと、残りの時間が少ないこと、もって年内以内だろうと、告げられた。癌と生きて8年目、ついに覚悟の時が来たのだと自分に言いきかせた。

 日増しに悪くなっていく自分の体を感じた。言葉にならない悔しさだけが病状に比例するように募っていく。しかし反対に心の何処かで何かに安心していた自分がいたのも事実であった。冷酷な流れで進むこの社会の中、病弱な体でしかこの先も生きていけない自分自身に、もう終止符を打ってしまえるという、自分勝手な安息の想いに気もちの芯が浸っていた。

 病と共生していくことは日常生活においても感情面においても「諦め」が必要になる場合が多い。私もどれだけの物事を胸から涙をしぼり出す想いで諦めてきたことだったろう。

 努力を重ねても結果として実らなかったことで、よく事情を知りもしない他人に生産性のない命など必要ない、と面と向かって言われたこともあった。自己の存在を全面否定された悔しさは忘れることはできないが、内心を正直にあかせば、そういう命でしかいられないことに疲れてもいた。

 死が目前にあるかもしれないのに、それを選ぶほうが楽になれると思ってしまった時期があった。それ程、身体も心情もぎりぎりの辛さを背負ってしまっていたのである。

 夏が終わる頃、とうとう体が思うように動かなくなり始めた。病院のベッドの上で、不確かな意識の中で、最後の「諦め」を思うと切なくてたまらなかった。日に日に増幅していく体の痛みや腫れが熱をもって暴れているのに反するように、心がずっと静かに泣き続けているのが、哀しい程自分で、わかった。

 しかしそんな私を日毎に沢山の人が会いに訪れて来てくれた。友達、仲間、同僚、親せき。わざわざ遠方から足を運んでくださった方もいた。なかにはもう何年も逢っていなかった人さえいたほどだった。

 彼らは皆、私の容態の悪さにはじめは驚愕の表情を隠せなかったようだったが、ひと息おいた後、必ず誰もが私の手を握りほほ笑んでくれた。そしてそれぞれがいろいろな方法を使って元気になるように、と励ましてくれたのだったが、そのうちのひとりのひとが(彼女は高校時代の友人として付き合ってきて7年になるのだが)、私にこんな言葉を伝えてくれた。

 「貴方が生きていることが、私にとって何よりもうれしいことです。生きることを精一杯頑張ってきていた貴方をずっと見てきて、私はどれだけ勇気づけられた瞬間があったことか。諦めないで。ずっと生きていて下さい。」

この写真は、富良野塾入塾試験のために取った写真だそうです。1次試験は合格したそうですが、その後、病状が悪化し、2次試験を受けることができませんでした。数え切れないぐらい様々な事を諦めなければならなかったのです・・。 彼女からこの言葉をもらった瞬間、心の中で溢れていた涙が本物の涙となって頬を伝っていくのを感じた。胸が熱くて痛くてたまらなかった。私の命の存在を、その意味を、彼女は肯定してくれたのだから。

 彼女だけではない。逢いにかけつけてくれた人たちそれぞれが、言葉や表現方法は違っていたけれども、未来への希望を失いかけつつあった乾いた私の心に、大切なあたたかいものをしかと届けてくれた。

「・・・・生きたい。」

と思った。心の奥底の部分から、強く、透明に、まっすぐにこの想いが湧き出た。自分でも驚く程、まるで生まれたての生命の叫びのようにその想いは私の心を満たしたのだった。

 その想いが何かにふれたのだろうか、一時は病状がひどく悪化して様々な処置が必要な程の危篤状態に陥ったというのに、ゆっくりゆっくりうす皮がはがれていくかのように、少しずつ安定し始め、今では落ちついた状態にコントロールすることが可能なまでに回復をした。

 自分もだったが、この時は家族もさすがに覚悟をした、と後から言っていた。癌はなお私のなかに居座っていて、まだまだ安心することなどゆるされないが、今日、私は笑顔で1日を過ごすことができている。

 日常の中に大切なことはごろごろと転がっているのに、拾って見つめてみようともせずにいたり、何気なく捨ててしまっていたり、してしまう。大切な物事は個人によって違うだろう。金銭、地位、夢、健康、仕事、生活・・・。

 個々によって違うそれを、何も知らないからというだけの理由で安易に傷つけるような行為は、たとえ誰であってもしてはならないと断じて思う。それぞれがそれぞれの人生の舞台に立ち、一生懸命に走っているのだから。

 私は今確かに癌だ。死が近くに待ち受けているのかもしれない。だけれど、どんな状況になってもこれからの自分は走れそうな気がしている。私の走りを見てくれている人がいる。それを今こんなにも実感している。冷たい事柄も多いけれど、ひとのあたたかさに気付かせてもらえたその事に、今はただ、感謝するばかりだ。

 そして私はひとりではなく、沢山の人に支えられて、一生懸命に生きていきたいと、祈りにも似た気もちで強く思う。それが今に自分にできる、一番大切なことだと心の核の部分でわかったから。

 治ると希望を抱いて1日1日を過ごしていきたい。そして願わくば、大切な言葉を贈ってくれた彼女と笑いながら鍋など囲める日を、未来のいつの日かに期待しているのである。

 ・・この言葉どおりに懸命に生きたさとみちゃんは、2002年10月20日に23歳で永眠されました。合掌。



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「いのち それから」
2003年6月 記

-これからの話は北方農業掲載文「いのち」のつづきの話です-

すこし体調のよい時に(2002年6月29日)、お姉さんの早苗ちゃんと菜の花畑に出かけて撮った写真 先月、けさみさん(「いのち」で紹介した「今を生きる」を書いたさとみちゃんのお母さん)が我が家に遊びに来られました。けさみさんの住む芽室町から我が家まで片道で4時間半。こんな遠くから、我が家を訪ねてくれる人がたくさんいる事に感謝しています。

 い~ちゃんは、学生時代にけさみさんの農場で実習させていただきお世話になってもいるのです。当時大学生であったうちのだんなが寝たあとにも、けさみさんは掃除や洗濯をして働いていたそうで(その音を子守唄にして寝ていたらしい)、とても働き者だった印象があるそうです。

 さとみちゃんは、14歳のときに発癌して以来、癌のことを知った上で、癌と闘ってきたそうです。けさみさんは、そのさとみちゃんを支えながら、さとみちゃんの分までもと仕事をしながら、登山、オカリナ、習字、裁縫などいろいろなことに挑戦し、2002年10月20日に23歳でさとみちゃんが旅立ったあとも、その生活に変わりはないです。

 さとみちゃんの分までもという思いは、さとみちゃんのお姉さんである早苗ちゃんも同じだと思います。昨年さとみちゃんが旅立ったちょっとあとに、3度目の挑戦であった教員試験に受かって、この春からは教員として、特殊学級の子達とかかわっています。

 定められた命とはいえ、けさみさんも早苗ちゃんも、やりきれない悔しさと寂しさを抱えて日々過ごしておられます。それでも、さとみちゃん、栄郎さんの分までもと2人とも懸命に前向きに毎日を過ごされているのです。

 又、今回、発病してから旅立つ時まで書いていたという膨大な量の日記の一部を見せていただきました。私が見せてもらっていいのかなぁ・・と思いつつ読ませていただきました。

 その日記の中では、さとみちゃんの思いのたけが、思いっきり吐き出されていました。それで、このように日記の中でいろいろな思いを吐き出して、けさみさんや早苗ちゃんたちの支えがあって、あのような透き通った穏やかな笑顔で最後の日までを生き抜いて、旅立つ事ができたのだなぁ・・と改めて実感しました。

 さとみちゃんに会って、23歳という若さで末期がんと闘っているにもかかわらず、こんなに悟りきって落ち着いた人生を送る事ができるものなのかと思っていましたが、日記を見て、変な話、さとみちゃんもやっぱり神様ではなくて人間だったのだなぁと思ったのです。やっぱり人間、苦しいときは、どこかにその思いのたけをぶちまけなければ、穏やかには生きていけないのかもしれないと思いました。以下に、さとみちゃんの日記の一部を紹介(けさみさんからの希望です)します。

 


―2002年8月23日の日記より- 全文そのまま

 私の人生の最後の目標は、意識がなくなる時ありがとうって言えること。
私はやっぱりわがままだけれど でもそれはこの世でいろいろないのちと交わって生きて生きることが、どんなに素晴しいかを知っているからこそ出てきてしまう欲なのです。

 生きたいさ。そりゃー生きたい。

 自分の体で。この魂で。

 けど、体がうまく作動しないなら 仕方ないんだ。

 不良品はつかえない。


 おかあさん、ごめんね。

 私 自分しか苦しい苦しいしか言ってない。
おかあさんの やるせない気もちに、苦しくてさみしくてどうしようもない気もちに手をそえてあげることすらできなくなってた。

体がつらくて、余裕がないのを言い訳に。

おかあさん、さとみは去年ほどもうエネルギーないんだ。

でも、おかあさん今日言ってくれたこと、すごく響いた。

ねぇ、おかあさん。

さとみはおかあさんのようなひとから命をもらって、娘としてこの世で生かさしてもらった。 

この短くも輝いている生命の時間を本当に大切だと思う。

おかあさんの娘でよかった。他の誰でもなく。

お父さんの娘であることも。お姉ちゃんの妹であることも。



-2002年8月24日の日記より―

2002年3月10日のさとみちゃんの誕生日は、少し状態がよくて、家に帰れて、そのとき総婦長さん(お父さんの病床にも足を運ばれた方です)が家まで届けてくれたケーキと撮った写真お姉ちゃん大好き!
って、心の底から思うんだョ!

大キライだったときもあった 考え方もちがうしね

とくに中学生のころ ねえちゃんはさとみにストレスをぶつけてきてたから
すごく嫌でたまらなかった。

でも この世でたったひとりだけの、さとみだけのおねえちゃん。

はなれても 近くにいても どんなときだって
さとみは おねえちゃんのこと 大事なの。

もし 先生になって遠いところへ行っちゃったら
さとみはどうすりゃいいかわからないくらい おちこむべなぁ。

でもさ それがお姉ちゃんの望んでいる道なんだし
将来の安定した生活のためでもあるんだし 仕方ないもんね。

だけどね どんなに遠くに行っちゃっても
いずれはお母さんのこと 頼んだよ、頼んだよ。

もしさとみが病気にならなかったら、
さとみがお母さんと暮らそうと思ってた。

ごめんね、できそうにないから・・

お姉ちゃんにたよりっきりにしてしまうこと ずい分できてしまうよ。

この先、何がどうなってゆくのかな。

でも変わらないのは、さとみがお姉ちゃん大好き!! おかしゃん大好き!!
ってことなのだ

甘えてばかりでどうしようもないね。

でもおねえちゃんとおかあさんがいるから、

さとみは今生きていられるって 実感しているんだ。

ふたりが、どうか幸せでいられること、望んでいるよ。

おかあさん と呼べること。

お姉ちゃん と呼べること。

そう呼べるひとがここに生きてること。

しあわせというんだね、こういうことをきっとね。

笑い会える家族がいる。泣いて抱き合える家族がいる。

神様はさとみに癌を与えたけれど
家族っていう幸せも与えてくれた。

そう思うようになるまですごく時間がかかったよ。

どうしてこんなにスナオに家族のこと想えなかったんだろう。

いちばん家族の暖かさを必要としていたのに。

わがままに他のことにつっぱしってしまったこともあった。
ごめんなさい。やさしさをいつもくれていたのに・・

今からでも まにあうの?

おかあさん おねえちゃん 私にとってかけがえのない人

もしも私が先にお墓に入ることになっても必ずふたりのことを見守るから。

でももう少しふたりとともにこの世で過ごしたい。 笑っていたい。

泣いてしまう。まだはなれたくなくて。

道新の入賞賞品なんだろね!!

お母さんとお姉ちゃんへの「ありがとう」を書いたはずだと思う。

月曜日、乞う御期待


―道新(北海道新聞社)の入賞作品―

「ありがとうの一言」

病がつらいと泣く私の背中を

   優しくさすってくれてありがとう

   その手のぬくもりのおかげで生きていられます ~お母さんへ~

            芽室町 高橋さとみ(23歳)


・・さとみちゃんは自由のきかない体、薬の副作用で爪が抜けてしまった手で懸命に日記に書き残していました。意識がなくなる10月16日まで書き続け、けさみさんと早苗ちゃんに抱かれて、赤ちゃんに戻って、旅立ちました・・

 このホームページをはじめてから、たくさんの声を寄せていただいていますが、中でも「いのち」で紹介した「今を生きる」を読んで、涙が止まらなかったという声が多かったです。また、自分の生活をすこし振り返ってみて、もっと毎日を大切に生きたいと再認識したと言う声も多かったです。これからも感想などがありましたら、けさみさん、早苗ちゃんにもメールで知らせていただけますか?



 忙しい毎日の中で、小さな感謝の気もちを忘れて、不満だらけになることも多い私たち。

 生きていること、健康でいること、支えてくれる大切な人のこと。

 そして、大切な「今」という時。

 それを子どもに私を通して見せてあげたい。


 病で苦しかったさとみちゃんは、その苦しい気もちを、日記の中で、お母さん・おねえちゃんに気もちをぶつけて、一生懸命に吐き出して、最後のときまで、懸命に、透き通った穏やかな笑顔でがんばりぬきました。



 






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おっぱいに関心をもって!
―すべての女性にブレストケア―

2005年 6月 記

日本では、仕事や育児で忙しい、働き盛りの年齢層で、乳がんは増え続け、まれに10代の発症もあり、若いほど進行は早い傾向に。進行しても治せるがんでもありますが、早期発見できれば多くの治療を受けずにすみます。
親戚に乳がんの人がいたら、特に気をつけてください。

乳がんは、初期であれば、完治します。
進行して見つかっても、打つ手だてがたくさんあり、
進行乳がん=死ではありません。


だから自分の命を守るために、
月に1度、自己検診(月経開始10日目ぐらい、更年期では日を決めて)をしてほしい。第1発見者は夫が多い?

小さなしこりを見つけて、
こわくなって、
受診する時期を遅らせないでください・・。

乳がんが1センチの大きさになるまでに、
平均10年かかると言われます。
2センチまでのしこりであれば、
ほとんどの人が、完治または再発しません。

しこり以外の症状にも気をつけてください。
痛むものは乳がんではないとは限りません。
(乳がんの1割は痛みを伴うということです)

そして、乳腺症と診断されたうち、
100人に2人ぐらいは、ガンであるのに見落とされている可能性があります・・。
だから、乳腺症と言われても、自己検診は続けて、
少しでも変だな? と思ったら、
健康であることを確認する意味で、受診をすすめます。

実際、医師に、乳腺症だから大丈夫・・と言われて安心してし、
後に、どうしてこんなになるまで来なかったの? と言われる人がいるそうで、
医師が大丈夫だと言うのだから・・と油断してしまった人がいるということです。
人間のすることに、絶対はありませんよね・・。

そして、自分で気になることを見つけたら、できれば
乳がん認定施設、または推奨病院に行って
乳腺外科医の診察を受けてください。

間違いやすいこととして、
乳がんかな?とおもったら、受診するのは基本的に、
産婦人科ではなく外科です。

乳がん認定施設に、乳がん認定医・マンモグラフィー認定撮影技師・マンモグラフィー認定読影医がいるかどうか、もしいない場合には、見落としを少なくするためにどんな工夫がされているか(ふたりの医師によるダブルチェックなど)、規格に合ったマンモグラフィーで検査しているかどうか、なども重要なポイントです。マンモグラフィーも撮ればいい・・というものではないのです。

アメリカでは、マンモグラフィーは規格にあったもので、
認定医師以外のものが診断すると罰せられることになり、
一時期、女性の8人に1人がかかり、その多くの人が乳がんで命を落としていたのに、
(現在日本人では全年齢の女性のうちの、23人にひとりが、乳がんの診断を受けています)
今は、早期発見・適正診断・適正治療によって、乳がん死亡率は、減少に転じています。

そして、なってしまった場合、乳がんの治療は、百人百様です。
ある人に効いた治療が、自分に効くとは限りません。
だから、主治医と良い関係を築いて、
自分に合った治療を、早く見つけてもらいたいです。

参考資料

・ ブレストケアノート(ブレストケアの必要性が書いてあるとともに、毎月の自己検診の結果など、おっぱいにかんする、からだに関するいろいろな事が記入できます 島田菜穂子著 日本家族計画協会発行 315円 おすすめです)
・ 自己検診用パンフレット(北海道対ガン協会配布)
・ すべての女性に「ブレストケア」
(日本医療企画出版 乳房健康研究会【編著】 2004年  1200円)
・ 乳がん自己検診のすすめ(マンモグラフィー検診精度管理中央委員会発行)

時間数: 約9分
価格: CD-ROM:1枚 800円(送料込)
ビデオ・DVD:各1本 1200円(送料込)
※振込手数料はお申込者のご負担になります。
監修:  医学博士 遠藤 登喜子
NPO法人マンモグラフィ検診精度管理中央委員会教育・
研修委員会委員長
お問い合せ先: 聖マリアンナ医科大学乳腺・内分泌外科内
NPO法人マンモグラフィ検診精度管理中央委員会事務局
http://www.mammography.jp/
FAX:044-977-8215
E-mail:seityui@marianna-u.ac.jp

・ 全国乳がん認定病院、乳がん認定医、マンモグラフィー認定撮影医、マンモグラフィー認定読影医リスト
    http://www.mammography.jp/

・ 乳がん、乳がん患者会などに関するその他資料(必要に応じ、インターネットからもダウンロードできます)

もしも症状が出たときに情報源としてお勧めしたいもの
・「乳がん 私らしく生きる」(2005年 ライフサイエンス出版 1500円)
・あけぼの会 ホームページにて紹介されている資料


書籍紹介 すべての女性に「ブレストケア」 より
(日本医療企画 2004年発行)

情報に振り回されないで! あなたのまちがった乳がん意識を変えて!
  ―自己検診と検診(視触診・マンモグラフィー検査)で守れるいのち―

<検(健)診と病院受診の使い分け>


しこりなど、自覚症状がある場合には、病院受診(乳腺外科)。
検(健)診は自覚症状のない健康な人が、異常がないことを確認するところ。

<乳がんは治るがん>

日本人女性の乳がんは、
「しこりが触れるのが特徴」
9割の人はしこりから乳がんに気づいています。
つまりそれだけ、自己検診が重要なのです。

しかし、約1割の人が感じる「しこり周辺の痛み」以外はまったく無症状であるため、
子育てや仕事などに忙しいことなどを理由に、
逆に無症状であることから「がんであるはずがない」と思い込み、
大幅に受診が遅れる人が少なくありません。

そのため受診したときのしこりの大きさは、
3センチ以上の人が多く、5センチを超える人もいます。

そういう人たちはみな、
「からだの調子が悪いなどということがなかったので、
乳がんなどの可能性をまったく考えませんでした」
ともらしているそうです。

しかしながら、乳がん手術後の10年生存率
(乳がんは、5年経過後も再発が多く、10年生存率を基準にします)
は、すでに現在で80%強です。
乳がんには、手術療法とともに、抗がん剤やホルモン剤が非常によく効きます。
乳がん=死と考えないで下さい。

自分の乳房に関心をもって自己検診をしっかり行い、2センチ以下のしこりで発見すれば、そして、定期的な検診(現在受診率5~10%を20~30%まで伸ばすべき)を併用し、しこりのないタイプや、1センチ以下のがんを見つけるのに有効なマンモグラフィーをすれば、もっと生存率は上がります。

自らがしっかりとした自覚のもとに、
しこりがないかなと乳房に問いかけるように、
しこりを求めて探索する自意識としての、「自己検診」が、
自らのいのちを確実に救います。


乳がんになる人は、40歳代をピークとし、高齢者からも発症しますが、最近は10歳代後半の発症もあり、特に若いと進行の早いタイプもあり、月経を迎えた後の女性には、自己検診をすすめます。

<乳がんで大切なことは、大丈夫と思い込まないこと>

・ 乳がんは痛みを伴わない、とよく言われますが「乳房が痛んで触ってみたらしこりを触った」ケースが10%ほどあります。
「しこり」はバラエティーに富んでいます。しこりが触れたときに、「自分の思うがんのしこりとは違う」と心の中で否定するのはよくありません。乳がんの専門家でさえ、いろいろな検査を経て、「ああ、これもがんなのか」とか「がんだと思っていたが、これは違う」ということがいくらでもあり、間違えのない診断の追求につとめているからです。


<乳がんのハイリスクファクター(高危険因子)>

・ 年齢40歳以上
・ 未婚
・ 初産年齢30歳以上
・ 閉経年齢55歳以上
・ 肥満
・ 良性の乳腺疾患にかかったことがある
・ 乳がんになったことがある
・ 乳がんの家族がいる(とくに母、姉妹)
・ ストレス

乳がんを促進するのはエストロゲン(女性ホルモン)。初経が早い、閉経が遅い、肥満・・
などはエストロゲンの影響もあります。経口避妊薬を服用している人やホルモン療法を受けている人もやや注意。

<間違った知識に振り回されていませんか?>

「乳がんは遺伝」「子どもをたくさん産んだら、授乳したら、乳がんにはならない」など、間違ったことを信じている人は多いもの。その際たるものが「がんになったらいずれ死に至る」という思い込み。

乳がんを予防するのに大切なのは、楽観でもなく、悲観でもなく、客観性のある態度で自分のからだと向き合うこと。


・ 乳がんになった8割の人は、親族に乳がんになった人はいません。
・ 閉経しても乳がんにはなります。
・ 乳がんの発生に、胸の大きい小さいは関係ありません。ただし、胸が大きいほど、自己検診でしこりを見つけるのに技術がいります。
・ 妊娠・出産や授乳期間はエストロゲンを少なくしますが、ならないわけではなく、むしろ、授乳中に乳がんにかかっている場合に、非常に見落としが多くなるので要注意。
・ すでに述べたとおり、乳がんの中には、痛みを伴うものがあります。

<科学的に証明されていない予防法に振り回されないで>

乳がん予防情報の氾濫に伴い、サプリメントに依存する人が増えていますが、いずれも、科学的に確実な効果は実証されていません。乳がん予防に効果があると言われている食品やサプリメントに期待しすぎて偏った食生活をしてしまうことのほうが、むしろ健康に悪いという説もあります。

<できるだけ早期に発見するために・・これだけは知っておきたい自覚症状>
<乳がんの診察・診断方法>
<今日からはじめられる自己検診法>
<乳がん関連サイト>
  ・・・紹介図書を参照してください



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書籍紹介 すべての女性に「ブレストケア」 より

(日本医療企画 2004年発行) 

情報に振り回されないで! あなたのまちがった乳がん意識を変えて!

  ―自己検診と検診(視触診・マンモグラフィー検査)で守れるいのちー

<検(健)診と病院受診の使い分け>

しこりなど、自覚症状がある場合には、病院受診(乳腺外科)

検(健)診は自覚症状のない健康な人が、異常がないことを確認するところ。

<乳がんは治るがん>

日本人女性の乳がんは、

「しこりが触れるのが特徴」

9割の人はしこりから乳がんに気づいています。

つまりそれだけ、自己検診が重要なのです。

しかし、約1割の人が感じる「しこり周辺の痛み」以外はまったく無症状であるため、

子育てや仕事などに忙しいことなどを理由に、

逆に無症状であることから「がんであるはずがない」と思い込み、

大幅に受診が遅れる人が少なくありません。

そのため受診したときのしこりの大きさは、

3センチ以上の人が多く、5センチを超える人もいます。

そういう人たちはみな、

「からだの調子が悪いなどということがなかったので、

乳がんなどの可能性をまったく考えませんでした」

ともらしているそうです。

しかしながら、乳がん手術後の10年生存率

(乳がんは、5年経過後も再発が多く、10年生存率を基準にします)

は、すでに現在で80%強です。

乳がんには、手術療法とともに、抗がん剤やホルモン剤が非常によく効きます。

乳がん=死と考えないで下さい。

自分の乳房に関心をもって自己検診をしっかり行い、2センチ以下のしこりで発見すれば、

そして、定期的な検診(現在受診率5~10%を20~30%まで伸ばすべき)を併用し、しこりのないタイプや、1センチ以下のがんを見つけるのに有効なマンモグラフィーをすれば、もっと生存率は上がります。

自らがしっかりとした自覚のもとに、

しこりがないかなと乳房に問いかけるように、

しこりを求めて探索する自意識としての、「自己検診」が、

自らのいのちを確実に救います。

乳がんになる人は、40歳代をピークとし、高齢者からも発症しますが、最近は10歳代後半の発症もあり、特に若いと進行の早いタイプもあり、月経を迎えた後の女性には、自己検診をすすめます。

<乳がんで大切なことは、大丈夫と思い込まないこと>


<乳がんのハイリスクファクター(高危険因子)>


乳がんを促進するのはエストロゲン(女性ホルモン)。初経が早い、閉経が遅い、肥満・・

などはエストロゲンの影響もあります。経口避妊薬を服用している人やホルモン療法を受けている人もやや注意。

<間違った知識に振り回されていませんか?>

「乳がんは遺伝」「子どもをたくさん産んだら、授乳したら、乳がんにはならない」など、間違ったことを信じている人は多いもの。その際たるものが「がんになったらいずれ死に至る」という思い込み。

乳がんを予防するのに大切なのは、楽観でもなく、悲観でもなく、客観性のある態度で自分のからだと向き合うこと。


<科学的に証明されていない予防法に振り回されないで>

乳がん予防情報の氾濫に伴い、サプリメントに依存する人が増えていますが、いずれも、科学的に確実な効果は実証されていません。乳がん予防に効果があると言われている食品やサプリメントに期待しすぎて偏った食生活をしてしまうことのほうが、むしろ健康に悪いという説もあります。

<できるだけ早期に発見するために・・これだけは知っておきたい自覚症状>

<乳がんの診察・診断方法>

<今日からはじめられる自己検診法>

<乳がん関連サイト>

  ・・・紹介図書を参照してください




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